修学旅行の経済学

元ネタ:学校の掃除の経済学 2 - GkEc's Something
これって掃除じゃなくてもいけんじゃね?と思った次第(途中でめんどくさくなって削った部分もある)

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修学旅行の目的を「体験による修学効果」とした場合にもっとも問題となるのは効果だ。修学旅行という名前である以上、単なる旅行ではないことは簡単に分かるが、修学効果とはなんだろうか。修学旅行は、生徒同士で旅行という非日常体験を共有し友情を育む機会である。しかしながら、それだけでは単なる”旅行”でしかなく、父兄がわざわざ費用負担をしてまで行う価値がある修学効果が必要ということになる
では具体的に修学旅行を経て、何が生徒に身につくもののだろうか。それは、何を目的とするかによって異なる。
最もわかりやすいのは歴史遺産を目にすることによる生徒の知的好奇心の向上だろう。もちろん、これ以外に「通常の授業を中断してまでも価値のある修学効果がある」ものなら何でも良いだろう。(計測は難しいだろうが)
そうして修学効果が、例えば塾のような他の費用負担による修学効果を上回ることがわかれば修学旅行を実施すれば良いということになる。
次に問題となるのは、修学旅行の修学効果が他での費用負担による修学効果を上回らない場合だ。その場合にも、現状の制度を追認してもいいということにはならない。できるだけ効率的な運用をするべきだ。
具体的には、「旅館に着いたら夜9時まで補修」なんかが良いのではないだろうか。

次にその他の「修学旅行の意義」について考えてみよう。
「修学旅行がないと歴史遺産に触れる機会が無い」
基本的に歴史の知識は学校で学ぶものだろう(そして学校を卒業してから京都旅行するのも大半の人にとっては歴史知識がないとつまらないであろうから、学校でより多くの知識を得た方が応用が利く)。修学体験が必要であるとしても、わざわざ遠くに宿泊でいくより、身近な歴史遺産を訪ね、成り立ち教えてはどうだろうか。その方が郷土への愛着も湧く
「修学旅行に行かなかった人間は社会に出ても思い出を語れない」
これは完全に経験則に過ぎない。経験則が役に立たないと言うつもりはないが、経験則に基づいて「だから貧乏な子にはカンパしてあげよう」と全員に押し付けてもあまり効果は上がらない。そう思う親はその子の分も全額費用を出した方が良いだろう。
「修学旅行をしたことによって後から何かしら学んだことに気づく」
これは何も語っていない。どんなことからだって学ぼうと思えば学べるだろう。しかし時間などの資源は有限なのでできるだけ「有意義」なことに使うべきだ。しかし修学旅行が本当に「修学として有意義」な資源の使い道なのか実証の余地があるだろう。
「毎日でつまらない授業ばかりではつまらないので、たまのリフレッシュを兼ねた旅行は当たり前」
これは生徒の生み出す将来的な価値を考慮していない。生徒は学校で勉強することにより生産性が上がり、学校に行かない場合よりも多くを生み出せるようになる。そうして学校を卒業してから、生み出した一部を税金として納める。学校教育は生徒への投資であり、決して道楽ではない。

(教育的な)目的をはっきりさせた上であえて修学旅行をさせるのであればそれはそれで良いかもしれないが、目的意識なしに「とりあえず楽しければいいじゃん」というのでは何も生み出すことなどできない(雰囲気を読める能力は身につくかもしれないが)。
学生という最も有意義な期間だからこそ、目的をはっきりと定めた上で最も効率的で有意義な資源の使い方をするべきだろう。

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というわけで修学旅行は中止。経済の題材として掃除を選んで読み手の興味を引き付けるという意図ならいいけど、本気で掃除の効果がどうかなんて思ってるなら、掃除は教育の一環だから、それ自体をどうこう述べることに意味合いは感じない