社長はなぜ人を育てたいと思うのかを考えてみた

企業のトップがよく言う言葉に、人を育てることの重要さを説くものがあります。別に育たなくても、トップが優秀であればトップがきちんと采配すればいいし、優秀な人材をヘッドハンティングしてくればいい。なんて、思ったこともありますが、私もそれなりに社会人経験を積んで、なぜ人を育てないといけないと感じるのか分かりつつあります。
すべての人に同じ条件で唯一渡されるリソース、それは時間です。当然ながら、上に立てば立つほど業務スパンは広くなるので、下に業務を振り分けなければならない。実は業務を振り分ける段階で、その業務に対する答えというのを指示する方はイメージしているものなのです。はっきり言えば自分に時間さえあれば、答えを出せる。ですが、時間というリソースを増やすことができないから委託せざろうえない。
問題は、その部下が自分のイメージにあるものにどれだけ近い形で答えを持ってくるか、ということです。自分のイメージを超えているものであればそれはそれで越したことはないですが、大抵の場合は、求めるモノに届いていない。届いていないならまだしも、下手したら全くあさってな答えをもってくる場合すらある。こうなると最悪です。突き返す時間があれば突き返しますが、最悪データを出させて自分でまとめなおすしかありません。
要は偉くなればなるほど、”使える駒”が欲しいのです。自分が使える駒だったから、上に立った。しかしながら、自分が上に立った途端、自分には使える駒がない。その時、初めて思うのです。人を育てることって大事だわー、人が育ってないと俺が死ぬわ。と。
まあ、そういうわけで伸び代がない人達を少しでものばすことをやりつつも、団塊の世代の嘱託の人を使ったり、その次の世代をいかに早く育てるかを実践しながら、日々過ごしております。まあ、自分もその上にとってみたら、まだまだ使えない駒なのかもしれませんけどね